校訓碑について
本校の正面ロータリー脇に,開校10周年記念事業として定礎(昭和55年10月18日)した大きな校訓碑がある。本校の校訓「至誠・勤勉・協和」とともに,窪田章一郎氏より送られた短歌と言葉が刻まれている。
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茨城県立神栖高等学校 |
本校の正面ロータリー脇に,開校10周年記念事業として定礎(昭和55年10月18日)した大きな校訓碑がある。本校の校訓「至誠・勤勉・協和」とともに,窪田章一郎氏より送られた短歌と言葉が刻まれている。

神栖高等学校をたたえる窪田章一郎
太平洋の波の寄せる鹿島灘、豊かに流れる利根川の雄大な自然に恵まれる神栖は、おくゆかしい歴史をも伝える地である。
鹿島灘とどろく波の高く強く |
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出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
窪田 章一郎(くぼた しょういちろう、1908年8月1日 - 2001年4月15日)は、歌人。窪田空穂の長男として長野県東筑摩郡島立村に生まれる。旧制豊山中学校(四年修了)を経て早稲田大学文学部国文科卒。1943年、武川忠一らが創設した早稲田大学短歌会に指導役として参加。そこから発展した歌誌『まひる野』を創刊主宰した。早稲田大学講師、教授、名誉教授を歴任。国文学者としては西行研究の第一人者であった。
1980年、「素心臘梅」で第14回迢空賞受賞。1988年、「窪田章一郎全歌集」で第11回現代短歌大賞受賞。1995年、「定型の土俵」で第2回短歌新聞社賞および第10回詩歌文学館賞受賞。
『常陸国風土記』に書かれている「童子女(おとめ)の松原」の話がある。
昔、安是(あぜ)の嬢子(いらつめ)という乙女と寒田の郎子という若者がいた。二人は大変美しく、お互いにその噂を聞き、一目逢いたいと思いを募らせていた。ある日、二人は集いで出会い、今までのお互いの思いを夜の明けるのも忘れ語り合った。夜が明けて他人に見られることを恥ずかしく思うあまり、二人は松の木になってしまった。
また、神護景雲年間(767〜770)の創立と伝わる手子后(てごさき)神社がある。鹿島神宮の祭神タケミカヅチの娘と伝えられる手子比売(てごひめ)命を東方守護の祭神として祀っている。この社を別に、「神遊社」(神の遊びの社)とも言ったという。この物語の主人公奈美松(なみまつ、青年)古津松(こつまつ、女子)を祀ったものだとも伝えられている。
第9巻1780
鹿島郡(かしまごおり)の刈野(かるの)の橋にして大伴卿(おおとものまへつきみ)に別れたる歌
牡牛(ことひうし)の 三宅の潟に さし向ふ 鹿島の崎(さき)に さ丹塗(にぬり)の 小船(をぶね)を設(ま)け 玉纏(たままき)の 小楫繁貫(をかぢしじぬ)き 夕潮の 満ちのとどみに 御船子を 率(あとも)ひ立てて 呼び立てて 御船出でなば 浜も狭(せ)に 遅れ並み居(ゐ)て 反側(こいまろ)び 恋ひかも居(を)らむ 足ずりし 哭(ね)のみや泣かむ 海上(うなかみ)の その津を指して 君が漕ぎ行かば