集合時間よりもかなり早く着いて空港の様子を伺う。高校生のグループがあちこち見られた。あるグループの高校生に行き先と費用を尋ねると、ニュージーランドへ3週間のホームステイで費用は40万円プラスとのこと。神栖は安い(同じ3週間で177,000)。夜行のカンタス便は今夜6便あり、オーストラリア各地へと飛び立つはずだ。
集合時間が近づくにつれて、見送りの先生方が多くなった。松金先生、橋間先生、野村先生、細田先生、瀬谷先生、星野先生、鈴木(正)先生、本橋先生、鈴木(聡)先生が来てくださった。生徒とそのご家族の方々もお見えになった。6時半には旅行会社の方によりチェックインが終了し、7時にはゲートに入る事で保護者の了解を得た。旅行者だけのエリアに入りシャトルバスで82番ゲートに移動するが、生徒にとってこの時が最も期待に溢れた楽しい時の一つであるはずだ。
ほぼ定刻通りに飛行機は移動を始めた。離陸すると、食事の準備が始まるのだが、少し時間がかかり過ぎだ。おしぼりも食事前の飲み物もでない。アテンダントは男女ともほぼ全員アジア系で、英語とサービスは直接的でてきぱきとしているが、JALのような優雅な奥行きのある感じが無くて少し寂しい。約10時間の飛行をどう過ごしたらいいのか。食後は出来るだけ楽な姿勢をとろうとしても狭い座席ではどうにもならない。寝ては起き起きては寝ることの繰り返しである。着陸の2時間前には電気が付き朝食の支度が始まった。
早朝の7時前には着いて荷物を取り入国審査がある。降機から入国審査場までは成田に比べてかなり長く、その間トイレはない。天井は低く、信じられないほどの混雑だ。乗り換えのために国内線のターミナルに移動して、アデレード行きを待つ間にトラベラーズチェックを現金に換える。500AU$が最低の単位だ。手数料は10ドル。アデレード行きの飛行機にはすでに2つの高校生グループがおり、人数もかなり多い。姫路の高校生グループは一ヶ月ホームステイで11万円とのこと。市の補助のおかげだそうだ。機内に入り座席に着くとオブライエン校長から電話が入った。携帯はノキアのGPSつきオーストラリア専用の携帯を旅行社が貸してくれて、通話料も全て会社持ちとのことだった。
ボーダフォンがノキア携帯電話を79AU$で売っている。プリペードのカードを買えば自由に使える。海外への通話、国内通話も日本から持参した携帯などよりずっと安い。神栖高校としても一台購入してはどうだろうか。SIM(シムカード)は一年間有効なので、次年度からもずっと使える。ほかに大手の携帯会社が2つ有る。
アデレード行き機内の座席に座るとすぐに、オブライエン校長先生から電話が来た。シドニー空港から携帯で電話をしたときに話せなかったので、私の携帯にかけてくれたのだ。2時間弱の飛行の後で懐かしいアデレード空港に着いた。新ターミナルは築後一年位なのでとても綺麗だった。アデレード空港の待合室に近づくと、オブライエン校長が手を振って出迎えてくれた。校長はわれわれ一行をホストファミリーの居るところに案内してくれた。そして、挨拶をすませてから一人ずつ消えていった。
私のホストファミリーはマイケル・デリア・クッチマロブご一家だ。マイケルはセルビア系移民の子でウラニウム鉱山技師として一週間おきに鉱山とアデレードの自宅を行き来している。デリアはロススミス高校の先生でイタリア系だ。長男は大学一年生でピアノの個人レッスンのバイトをしている。娘さんは17歳でパートタイムだ。家についてから間もなく親類の方たちが挨拶にこられた。マイケルの母ラッダ(Rada)69歳はお昼の食事に加わったが次の日は膵臓の手術が待っている。昼食は豪華なデナーで何種類もの料理が並びワインも振舞われた。娘さんが中心になり時間をかけて用意してくださった。やがて、親類の方が少しずつ集まってきた。デリアの母カーラ(Carla)、兄で教員のルイース(Louis),マイケルの妹ライナ(Lina)と夫のボリス(Boris), 友人のキース(Keith)。疲れて1時間ほど昼寝をした後でもカーラとルイーは残っていた、話に花が咲いた。とにかく家族の絆の強さには驚いた。そしてイタリア系は良くしゃべる。全員が漫才一家の様なにぎわいで次から次へと話が続く。マイケルには和風の折りたたみの置き時計、デリアには日本酒の盃セット、ステファニには漆塗りのペンケース、ジリアには手作りの置き皿そしてご家族には大吟醸の日本酒を差し上げた。オブライエン校長も昼食に加わるために早い時間に着き、1,2時間歓談に加わった。神栖からのお土産を全て手渡すことが出来た。神栖高校からロススミス中等学校と、校長へ。原校長と私からの個人的なお土産などだ。

午前8時に家を出て8時20分頃には学校に着いた。図書館に集合して、構内の案内があり2時間目から生徒はスクールホストと一緒にそれぞれ別れて授業を受ける。職員室で木村先生と3週間のプログラムを精査して、内容の理解と不明な点の説明を求めてどのようにすごすかを話し合う。将来の交換留学がこれまで通りでよいのか、新たな所を探しておくかなどだ。とりあえず私立高校と英語の専門学校そして州の教育省を訪問して情報を得ることにした。
マイケルの母が朝方手術を受けた。学校から帰って間もなく手術の結果を聞くためにロイアル・アデレード病院へ行った。息子のマイケルは病床に付き添いジリア,ステファン,デリアと車で病院へ行く。約一時間後に携帯で打ち合わせてから一家全員で夕食をイタリアレストランで取る。ランドル通りという古い通りでイタリアレストランが多い。
授業の途中でアデレード市内へバスで移動して、アデレード大学英語学校と、その直ぐ近くの私立SASE 英語カレッジを訪問した。州立の英語学校とほぼ授業料と滞在費は同じだが、英語の集中講座の時間数は圧倒的に多い。短期間に英語の運用力をつけるにはいい学校だ。またロケーションも市の中心地だ。
夜の9時頃、デリアの母カーラの家に連れて行ってもらう。母ともう一人の兄ジョー(Joe)その奥さんアルゼンチン系のグレース(Grace)、親戚のアルゼンチンの娘さんジゼル(Zizzel)が居た。話を始めて5分と経たないうちにジョーは目眩がすると席を離れた。みな心配して救急病院へ連れて行くことになった。次の日に聞くところによると、ウイルスによるもので一時的だろうということで少しは安心した。
メリッサワイナート先生(Melissa Weinert)より今年後半に派遣される生徒と引率者の説明があった。
引率者の希望としては富士山を見せたい。東京には2泊、大阪に5泊、神栖には2週間滞在を希望している。国会議事堂と皇居も見せたい。参加者が8名以内でも大丈夫かと聞くとオブライエン校長が州教育省の担当責任者と話し合い認めさせたとのこと。低所得という地域性と、機会の均等を出して説得したそうだ。交換留学制度なので各校にある程度任されているとのことだ。
朝から一日の見学小旅行。ポートアデレードへ遠足である。バスと電車を乗りついで、一日神栖高校生だけの楽しい時間がすぎた。個人的に海洋博物館は興味があり50分かけて見学したが、生徒の中にはお腹がすいたと早々と食べ物を探しに出て行った者もいた。引率者はヒュートン先生(英語科、カウンセラー)。帰りにシティーで一時間を自由時間にする。


体育館には椅子が並べられていて、三分の一くらいの生徒は着席している。入り口のステージに登る階段付近で、オブライエン校長、私、学生代表が立って他の学生と教職員の入場を待つ。職員は学生たちの間に座っている。木村先生は生徒の服装と髪の毛を直すのに大忙し。やがて、時間になると校長を先頭に登壇する。木村先生、本校生徒代表、学生代表などだ。デービス副校長はすでに登壇していて、すぐに歓迎式が始まる。司会者が一言二言言うと、全員が話をやめシーンとなる。集会の初めから終わりまでおしゃべりはまったく無い。携帯を出すものも一人もいない。ロススミスの女子はほぼ全員濃紺のズボンをはいている。街中でも短めのスカートをたまに見かけるが、その場合ロングソックスをはいていて素肌をさらけ出すものはいない。
感動的な日本の国歌演奏、オーストラリア国歌演奏に続き生徒の通訳で(アリステア君)オブライエン校長の歓迎の言葉(生徒代表が日本語訳を読む)「神栖とは19年間続き唯一の姉妹校関係が継続中」との表現がありがたかった。本校生徒が代表で挨拶し、他の生徒を紹介した。贈り物の交換(学校への物だけでお互い大きさが同じくらいに調整されていた)、神栖高等学校長挨拶代読(茂木)。続いて各学年で成績優秀者への表彰状手渡しが握手とともに校長から生徒一人一人に渡された。各学年10名前後だ。さらに、ドラマー(男)エレキギター2名(女)による軽い演奏があり式は終了した。
その後すぐに職員室でお茶会があった。12年生(高校3年)が用意したケーキ、クッキー、フルーツ、餃子など十数種類が飲み物と共にテーブルに並べられて赤い椿の花を中心にしたブーケが飾られた。全て学生だけの手で並べられて授業の一環とのこと(ケータリング)。後片付けも清掃も全て生徒が自主的におこなった。教職員の指示はまったく無い。てきぱきと学生だけの仕事だ。このケーキを神栖高校生は信じられないほどたくさん食べた。皆食べ終わって誰もいなくなっても食べていた。凄い。
Mr Masuru Mogi and Ms Myoko Kimur , teachers from Kamisu Senior High School, and students from Kamisu. On behalf of the staff & students from Ross Smith Secondary School, I would like to welcome you to Australia, and in particular to Ross Smith Secondary School. Kamisu Senior High School has now been a sister school to Ross Smith for 19 years. We believe that this is the longest standing Sister School exchange in South Australia.
I extend the greetings of the staff, student and school community to Ms Kimi Hara, Principal of Kamisu Senior School, its staff, students and community. Over the period of our exchange we have both enjoyed many mutual exchange visits and have learnt a lot about each other's school and culture. We hope that you enjoy the next 3 weeks at our school as our guests.
We extend our thanks to you for hosting our students and staff members who have visited your school in past years. I know that those who have participated have both enjoyed themselves and learnt much about your culture. I would also like to thank those in the Ross Smith Community who again this year are assisting in being home and school hosts for our visitors. We hope that at the end of this year that a small group of Ross Smith students and staff will be able to make a return visit to Kamisu.
We have planned what we think is an interesting program for you to see some of the sights of South Australia and to experience the Australian way of life. My thanks to in particular to Ms Ann Falk, Ms Melissa Weinert, and other supporting staff who have given their assistance
At this assembly It is traditional to exchange gifts between the 2 schools and I ask you to accept this gift for your school, and to pass on our best wishes to your principal, Ms Kimi Hara, and to the Kamisu School Community.
THANK YOU
Dear Principal O'Brien, Deputy Principal Davis, Ms Ann Faulk, Ms Melissa Weinert, staff and students of Ross Smith Secondary School:
Thank you very much for allowing Kamisu students to experience Australian school life again this year. Out students have visited Australia to expose themselves to the English language and your society so that they may realize the importance of learning the language more seriously. They want to broaden their knowledge on geological, historical and cultural aspects of your country. I hope that Ross Smith Secondary School students and Kamisu students may get to know each other better in order to further promote understanding of different cultures and nurture a sense of internationalization.
Our schools have been exchanging students for 19 years. There have been 184 Kamisu students and 81 Ross Smith Secondary and former Northfield High School students to participate in this exchange. Kamisu High School will try to reciprocate the goodwill and kindness when your group visits Japan later this year. As principal of Kamisu High School, I promise you that we will do our best to welcome you.
Thank you again for the kindness you have shown in welcoming our group.
親愛なるオブライエン校長先生、デービス副校長先生、アンフォークさん、メリッサワイナート先生、教職員の皆様そしてロススミス中等学校生徒の皆様:
今年も再び神栖高校生がオーストラリアの学校生活を体験する機会を与えてくださり、誠にありがとうございます。神栖高校生がオーストラリアを訪問したのは、自分たちが英語と貴国の社会に直接触れることにより、英語学習をさらに真剣に学ぶことの重要性を認識するためです。さらに、貴国の地理、歴史、文化に関する知識を広げるためです。私はロススミス中等学校生と神栖高校生がお互いをよりよく知り合い、異文化理解を促進し国際感覚を養っていただきたいと希望いたします。
私たちは19年間に渡って交換留学を継続しました。神栖から184人、ロススミス中等学校と前のノースフィールド高校からは81名がおります。神栖高校は皆さんのグループが今年の後半に日本を訪れる折には、お受けしたご好意とご親切に対してお返しを尽くす所存です。神栖高校の校長として、皆様を心から歓迎することをお約束いたします
私ども一行のために貴重なお時間を割いてくださり、重ねてお礼を申し上げます。
議長は男女2名
校長が一片手をポケットにいれたまま新学期にあたりいろいろと発言する。議長は2名で「早く始めれば早く終われます。進行にご協力下さい」といって始まる。学年ごとに報告をしてから、2つの賞の授賞式だ。最初はwally champion(ばか者賞)というユーモラスな賞である。車のタイヤの下に書類を置いたまま車をバックさせようとしてもどうしても動かなかった、というような馬鹿話の持ち主に与えられる。次の賞はまじめなものである。それはソーセージを作って稼いだお金を派遣短期留学生に差し上げようという運動を実施しているグループに与えられた。それに対しマリオン事務長は税金対策としてきちんと文書化しておかないと後で面倒になるおそれがあるので注意が必要だと発言する。
次に卒業生のなかにセレブがいて、その人のテレビドキュメントのためにインタビューが次週の火曜日にある。その際に、校長と共にインタビューを受けるレズリー先生が、美容院へ行って髪を切りたいので前日早く返してくれないだろうかと冗談を言って笑わせる。
午後6時半から市内のパブにて
市内中心地に近いところの150年来のホテル付属PUBで開かれた非公式の夕食会である。オブライエン校長、マリオン事務長、職員をホストしてくださっている方たちのご家族、アン先生、メリッサ先生、ヒュウトン先生その他で大きな四角のテーブル一杯の参加者で17,8人くらいであろうか。メリッサご夫妻の赤ちゃん2人も一緒だ。あちこちのテーブルに子供もいる。着いたら直ぐに飲み物を注文して、みんなわいわい飲みながら談笑している。スピーチはゼロ。料理は全て10AU$くらいで大皿一杯の料理である。マリオン事務長がオーダーをまとめ、オブライエン校長が黒いカバンからお金を出して支払っていた。これは、校長と事務長のマリオンが学校の経費から費用を捻出したようだ。おなか一杯食べておしゃべりで疲れたころに校長がそろそろ家に帰ってぐっすり寝ましょうといってお開きとなる。
ホストファミリーの主人マイケルが軽飛行機で500キロ離れたウラニウム鉱山で勤務のため移動。母の手術のための休暇明けである。
全員で朝から一日市内見学。バスで移動。関君のホームホスト グレームビーバー君だけ参加。引率はレズリー(Ms Leslie)と本田さん。
見学場所は「ノーステラス大通り文化施設散策」でアボリジンの博物館、州立美術館と博物館など。午前のお茶はアデレードで一番古いアルフレスコスCAFEでホットチョコレートとケーキ等を食べる。昼飯はデビッドジョーンズデパートのフードコートで寿司を注文する。味はいまいちで回転寿司が懐かしい。一日歩き通しで疲れた。
朝食後一人で町に出る。オーストラリアの地図、旗などのお店を下見する。詳細は野村先生に報告する。(7月31日)。午後2時頃まで散策してからバスで帰宅。3時にデリアの母ライナ宅訪問してから、兄のジョー宅を訪問。7人で、2時間ほどドライブして川岸に係留してあるハウスボートへ移動(4LKDでシャワー室2)。川に浮かんだボートハウスに宿泊。ダブルベッド付きの個室をあてがわれる。

朝、昼食を取ってから、アデレード市に戻る。ジョーの家に寄りピザの夕食をとる。一日中濃いコーヒーを飲みすぎで夜の睡眠が心配。バロッサバレーの大手ワイン会社のアジア地区副社長で息子のアンドルー(Andrew)が韓国と中国への出張から帰国したので、その報告に帰宅していた。ジョーは8月には観光で中国へ行く。帰宅後、持参したPCを初めて家から繋がせてもらった。DSLだがスピードはかなり遅い。日本語で添付書類を自宅に送り、そこから神栖高校の野村先生へファックス送信を依頼してから就寝する。
朝、図書館で出席状況を確認してから図書館で午前中一杯は報告書の作成と生徒2名との面談に過ごす。彼女たちは1ターム州立の語学校、3タームを姉妹校での学習というパターンで二人共満足で次年度以降もお勧めとのこと。
木村先生は近くの郵便局訪問を希望していたが、街のGPO(中央郵便局)を薦めた。一人でバスに乗り街に出るのも良い経験になるし、本人もそろそろ自信を着けてきて自由に移動が出来るようになったのがうれしい。
生徒がホストファミリーの生徒の都合で、一時間目授業がないので遅れてくるとの連絡をアン先生から受ける。

朝食:コーヒー、りんごジュース、薄切りの小型パン2枚、果物缶詰とプレーンヨーグルト。
昼食:薄切りパン2枚のサンドイッチ(トマト、チーズはさむ)、アーモンド、ビスケット。小ぶりのりんご一個。
夜:デリアの母カーラの家にご招待。
午前9時かカーメン、シェリル・マギル特殊教育先生、木村先生、本校長期留学生でカーメン君短期留学訪問の件で話し合う。約4,50分。彼は日本の歴史・文化に興味を持ち、いくつか書物を読み情報を得ている。将来はメデア関係の仕事を希望している。日本にはオーストラリアにないものがあり、それが大変魅力だと熱心に話す。近代的都会と古い文化伝統が同時に存在しており、そこを自分の目で確かめたいと言う。特に日本の「スピリチャリテー」(精神性)に興味を持っている。3時限目は調理実習参加でスコーンケイキ作り。昼食時に有名な卒業生でテレビの撮影で来校中のデビッドキャンベルさん、オブライエン校長とチャット。昼食後はメリッサの父とゴルフで約2時間コースを回る。夜はカーラの家で夕食。
ムレイブリッジ、モナルト動物公園への遠足。サファリパークである。引率は技術工作の先生のニック・マクナマラ(Mr. Nick Macnamara)先生でレンタルバスを運転してくれた。他に、メリッサ・ワイナート先生。神栖高校の生徒のほかは、ホストファミリーから、ルーク、ピータ、ケイトラン、ジャスミン、クラムの5人が参加した。
ホームホスト、スクールホストが全員参加するのが予定であったが少ない人数だ。昼食は現地で購入する。バスでゆっくりと周遊してライオン、キリン、犀、チータ、シマウマ、バイソン、ワラビーなどをみる。昼食は休憩所付属レストランでコーヒーやハンバーグなどを食べる。9時出発で3時半には帰った。

近畿日本ツーリストの宮脇さんが昼頃にロススミスを尋ねてくれていた。早速お礼の電話を入れた。高校生の留学関係で南オールトラリアの教育省と観光省を訪れて話し合いがあったとのこと。不在で失礼したが、大変嬉しくありがたい訪問ではあった。家に帰る前にジョーが自分の職場を案内してくれたりしてくれたので、帰宅は6時半になった。一日なにかと疲れを感じる夕べである。
4,5,6時限を外出してグレネレグ海岸へ行く。ビカリオ先生(Ms Vicario)、ヒュートン先生(Ms Hewton)が引率。路面電車でグレネレグ海岸へ行く。昼食は午後2時頃。ヒュートン先生から土曜日に終戦直後の日本の様子などについてラジオのインタビューをしたいという話があるがどうかと聞かれたので、OKの返事をした。
日時:8月3日(木)午後6時半。服装は、セミフォーマル。ネクタイは数人だけ。
場所:トレンズ川沿いの洒落たレストラン。
参加者:オブライエン校長、ガウアー事務長、デービル教頭ほか教職員約30人プラス。会費は食事代が25ドル、飲み物は別でその都度受益者払い。神栖の職員は学校が負担、飲み物代は近くの4,5人分をオブライエン校長が現金で支払う(40ドルプラス)。おごりである。レストランに着いたら直ぐにグラスを取り談笑が始まる。揃ったところで、一人一人食事の注文である。チキン、ステーキ、サーモンがメインで各自選ぶ。ステーキを食べたが筋が硬くて切れない、味は旨いとはいえない。チキンがサーモンにしておけばよかった。食事が済みデザートコーヒーが終わるとそれぞれ適当に家に帰った。
挨拶文は用意したが、実際に話す機会は無かったが、用意した物を参考までに残しておくことにした。これは所々を引用して後で活用できそうだ。
Thank you very much for taking your precious time to welcome and hold a great dinner such as this for us. Ms Miyoko Kimura and I are very grateful that we have been warmly accepted into the Ross Smith Secondary School community. Our 6 students are now all healthy and full of energy thanks to you and home hosts' good cares. They are improving the skills of communicative English, they are making new friends, and enjoying Australian school life. This is what we have been trying to achieve.
However I am afraid they may sometimes misbehave themselves or cause some inconveniences to the people around. Please forgive them of their shortcomings.
Finally I would like to express my gratitude to Principal Judith O'Brien, and Ms. Marion Gower for their many years' of supports for this exchange program.
My special thanks to Mr. & Mrs. Michael and Delia Krcmarov, Mr. & Mrs. Rob and Rebecca Archer for your lovely hospitality in home hosting us.
Thank you very much!
生徒達が元気に各クラスへ向かったのを確認してから、バスで公立のアデレード高校へ行く。百年近い歴史を持つ、市内で一番古い高校だ。建物を初め校舎内の施設設備はロススミスと比べ物にならないほど立派だ。日本の私立高校でもなかなか見つからないだろう。ロススミス高校から転勤した2人の先生へ土産を届けに行ったのだが、エレクトラ先生は長期休暇でギリシャへ行き不在で、家庭科のミア先生に会うことが出来た。先生は次の月曜日のイベントで150人分の軽食を用意するため大忙しだったが、授業を少し離れたところから見ながら話を聞いてくれた。先生は嬉しさに涙を浮かべながら応対してくれた。話が終わると、学校がタクシーを呼んでDECS教育相まで無料で送ってくれた。教育省では国際教育のシモンズ(Simmons)部長と小一時間話をして、国際教育の情報交換をした。さらにQF航空のアデレード支社を訪問して帰国の便を再確認した。確かに8名がQF738便で9:40発との確認を取り一安心である。夜はマイケルの母ロッダさんを見舞いにロイヤルアデレード病院へデリアさんと行く。私は日本のかわいらしい子供が描かれた置物を土産として渡してほしいと依頼して、小一時間近くのランドル通りを散歩して過ごした。帰り道、ベジタリアン・レストランに寄りベトナムのベジタリアン料理を食べた。
11時のアポイント時間にお会いする。部長のジル・シモンズさんは若い秘書と共に、40分間意見を交換し、情報を与えてくれた。まず、国際教育部が活動を開始したのが1987年からで、神栖高校が交換留学を始めた頃である。留学生の数は中国が一番多く日本は二番目だが、全ての経費込みの留学生は日本が全体の50%で一番多い。韓国、香港、台湾、東南アジア、ドイツ、ブラジルからも来ている。
12の高校に分散して、200名が3週間滞在する。
国際部の全員30人が6週間滞在する。引率者は1名。そして次年度は全員が一年間留学する。帰国後は一流大学へ進学するか、アデレード市内の大學へ進学する。
国際部の11名が1年間留学する。
5〜6人が1年間留学する。
60人が1年間留学する。
約100人が2〜3週間留学する。1年間留学は5〜6名。
姉妹校同士の交換留学については、ケースバイケースで留学を許可している。神栖とロススミスの間では引率者や参加人数にこだわらなくて良いとの返事でした。
ヒュートン先生(Ms Hewton)ご一家を訪問する。
ご主人は61歳だが弁護士の資格を取るため大学で必要単位を獲得して試験に合格するように努力している。既に大学は卒業して教員を長く続けているが、法学部の卒業論文は「東京裁判の不当性」だ。これはオーストラリア人にしては珍しく、個人的には非常に興味のある人物だ。
午前11時から30分間テリー・ヒュートン先生(Terry Hewton / husband of Ms Hewton)とアデレード大学放送局(ノーステラス:アデレード大学向かいのビル一階)で質問に答えるという形で実施した。内容は次の日が広島原爆記念日であり、その意義を再確認しようという学術的な意図の下にインタビューがもたれた。その内容は:
広島に原爆が落とされた時に貴方は何処にいましたか。
私は東京の東約100kmの小さな町に住んでいた。原爆の事実を知ったのはいつのことか。私は小さい頃で覚えていないし、その後数年間は全ての日本人が食べ物を確保することで精一杯なので、あまり関心はなかった。しかし、やがて人々はその事実を知り恐ろしい事実に圧倒された。
ナチスによるホロコーストと原爆による殺戮は、2つの大変大きな悲劇的出来事だという人がいるがそのように思うか。
そう思うと答えた。さらに、東京裁判をどう思うかとの問いには、日本はサンフランシスコ講和条約を受け入れて国際社会の一員となったのだから、政府の公式見解としては東京裁判を否定することは難しいが、個人的にはあの裁判は問題が多いものだと答えた。
ご主人はアデレード大学法学部で弁護士の資格を取るために勉強中の高校教員である。分厚い論文を書き上げ、東京裁判を勝者による敗者の裁きに過ぎないとの理論を展開している。教えを請いたい学者ではある。
ラジオのあとトレンス川に沿った散歩を1時間と少ししてから、古いホテルのバーでチキンの昼食をいただいた。その後、植物園へ連れて行ってもらい、約2時間園内を一人で散策し休養をしてからバスで帰宅する。バスは予定通りに来ず、一時間近く予定を遅れて帰宅した。暗くて、バス停から家までの途中しばらく道に迷ってからたどり着く。
マリオンの運転でグーワ、ビクターハーバー方面への遠足。
スクールカウンセラー(事務長)マリオンさんの運転でご主人のジョン(John)オブライエン校長の4人でグーアに住む旧友の女流作家宅訪問を兼ねて、市の南東部にある観光地ビクターハーバー方面に午前8時に出発する。丘稜地帯と海岸線に沿った風光明媚な道路を走り、途中何度か休憩をしながら午後2時半に旧友ジリアンさんのお宅について約1時間ご主人のフィリップ(Phillips)さんを交えて歓談した。その間、他の人たちは近くの海岸へと観光に行き、私たち3人だけにしてくれた。ジリアンさんからは家内への手土産と、「魔物の闇」ほか三部作の2作品を朗読テープに吹き込んだCDを3枚いただき、ロススミス高校へは、英語版のポケット三部作がオブライエン校長を通して手渡された。他に「鴬張りの向こう側」と全部を吹き込んだテープを3セットいただいた。私は大吟醸の日本酒を土産として置いてきた。3時半にグーアを再び出発してアデレードの家には午後6時頃に着いた。運転された距離は200kmを越えていた。
ジリアンさんとは14,5年前に娘さんがスコッチカレッジの交換留学生とし神栖に一ヶ月以上滞在した時にジェニ・アレン先生、ジルベイン先生等と共に来日して以来の旧友だ。それ以来我が家を訪問して数日滞在した回数は7,8回に上るだろうか。家内も私も気が合うというか、あまり気兼ねなく交際させていただいてきた。10年ほど前には「シンケイ」という三部作の三番目の作品に神栖・鹿島の高校生が出てきて、水郷地帯の自然描写が多く描かれた空想的な作品が発表になった。5年程前には西日本の漁村を舞台にした「鯨の子供」 Whale's Child という短編が出版された。また数年前には日本の封建時代を描いた三部作の時代劇を出しその翻訳は25カ国に上っている。今年の5月には日本語訳も出版された。第一作の「鴬張りの向こう側」Across the Nightingale Floor はハリウッドが映画制作権を買い取り、目下製作開始に向けて準備中と聞く。このような有名な作家とは知らずにただの友達付き合いを続けてきた。私が彼女の家を訪問するのはベーグル・サーモンの質素なお昼をご馳走になったのが初めてで、今回は二度目だが、以前のアデレードの丘から海岸沿いのビクターハーバー近くのグーワに移り住んでいた。今回一日中お付き合いいただき快適な日帰り旅行をしてくれたのは、オブライエン校長とマリオン事務長で長く交換留学を推進してきた最重要の2人だ。
メルバチョコレート工場を見学してお土産を購入した。学校や、ホストファミリーのためのものを買った。神栖からの長期留学生2名と短期6名、オーストラリアの学生でアン・フォーク先生のドイツ語履修者12名、フォーク先生と運転手のマクナマラ先生。
途中道に迷い、時間の都合で一番高い山マウントロフテーからアデレード市街地を見学することに変更する。コアラが抱けず生徒は残念がった。
夜8時半に全てのホストファミリーに電話をして神栖高校生をホストしてくださり有難う、と御礼を述べてから、一人一人の生徒に元気に過ごしているかを聞いた。皆元気で特に問題も無く安心した。
街へ買い物、お別れ夕食会の食材購入。10:45〜4:00
購入した食材:一人20ドルを徴収して食材を購入する。残りはお別れパーテーでのお花とチョコレートの購入に当てる。残りは後で均等に返却する。
やきそば、お好み焼き、チャーハン、トン汁、豚肉のしょうが焼き、餃子、てんぷらなど。35人くらい集まるということをビカリオ先生から聞いた。食事は神栖高校生だけで作る。
本校生徒の3人が長期留学に強い興味を持っていることが判明した。早速オブライエン校長に相談したところ、次の日にタクシーを学校の費用で片道用意することと政府の州立英語専門学校への訪問の手はずを取ってくださった。
朝の9時少し前にタクシーでアデレード中等英語学校へ移動する。パンフレットをいただき案内をしていただいた。水曜日は特に忙しいスケジュールがあることと急な見学申し込みなのでショートの案内となる。
その帰り道に、アデレード大学向かいの英語学校に寄りパンフレットをいただき、教室を案内していただいた。ここは、二度目になる。さらに、教育省の国際教育部のジル・シモンさんを予約なしに尋ねてパッケージ留学のパンフレットをいただいてから学校へ戻る。
昼食後お別れ夕食会の調理。昼食の後、調理準備が始まった。私は足が疲れていて余り気が乗らない。やきそば、お好み焼き、チャーハン、トン汁、豚肉のしょうが焼き、餃子などが作られた。

12年生のサポート。ホスピタリテー(ホテルやレストランなどの接待)受講者がデザートとブーケの用意と配膳をする。
午前中授業で午後は帰宅して、荷造りをする。重量計を親戚の家から借りてきてもらい計量する。特に問題は無い。
夜はロックアイシュテッド公演(音楽、ダンス、照明、振り付けドラマ等の総合舞台上演)で12の高校から代表が発表して競争する。ロススミスは初めての出演で、振り付けなどにお金がかかる。警察署が1000ドル、某企業が300ドル寄付して実現にこぎつけた。
高校生がこのようなことを実現できるとは想像をすることも出来なかった。12の高校が大人の舞台芸術を展開している。振り付けは独創的で自由である。音楽も自分たちの手によって行われそれぞれ特徴がある。そのダンスや照明特殊効果など取り入れていた。作品の紹介から、説明も生徒がおこないその後の評価はプロの男女2名がおこなった。良い点だけをなぜ良いかを語りかけ将来の展望を指し示し努力の跡を賞賛するという評価だ。あら捜し的なところが無いのはいいことだ。後で聞くところによると、ロススミスは小規模の公立校にも関わらず、上位入賞を果たした。
アデレードからの帰国便は朝早くホストファミリーの家を出ることになる。QF便9時40分発。ところが私は途中チーズを冷蔵庫に入れたまま家を出たのに気づいて戻ったので、出発の50分前くらいに空港に着いた。他の生徒たちと木村先生は既に着いていたが余り気にはしない。アン先生、レベッカ先生がいた。ホスト家族の方々もいて最後の別れの瞬間(出発10分前)には生徒は皆別れを惜しみ涙を流して抱き合った。感動的な瞬間だ。同じ便に乗った他校生は有料のホストファミリーのグループで、見送りはほとんどいない。
聖メアリー・カトリック大聖堂、シドニー湾周辺と免税店を見学して夜は中華街のレストランでフルコースに近い夕食を食べる。味もいいし大きなお店でほぼ満員だ。一時間半くらい心からくつろぎながら楽しい夕食となった。
歩いて近くのモノレール駅からダーリング・ハーバーまで行きオーストラリア最高の夜景を堪能した。再びモノレールでホテルまで帰る。9時半頃になっていた。
午前中は自由に散策と買い物などに使い、午後2時マイクロバスが迎えに来た。先ず昼食を食べてから観光に向かう。疲れがたまり、添乗員の指示通りに素直に行動した。
チェックイン開始は3時間前だが,他のグループの高校生は既にチェックインを終了している。機内は空席が2割ほどあった。
途中の飛行は順調で、皆疲れてよく眠っていた。
午前6時分成田に到着。ああやはり日本はいいな。早くご飯と味噌汁が食べたい。秋刀魚の塩焼きと大根おろしもいい。
性格的にもホームシックになりやすい生徒もいた。結果的には3週間の留学で英語のコミュニケーション能力もついたし、個人的に考えもしっかりしてきた。異文化体験、国際親善と交流も成果を挙げた。6名の生徒たちは出発前心配していたが、ケガや大きな病気もなく概ね元気に過ごせた。この留学の体験を通して、我が国の良い点、歴史と伝統、独自の文化に気づきそれらを大切にする気持ちが起きればありがたい。
オーストラリアと日本の違いの一つは、外国人を胸襟開いて受け入れることが出来るかどうかだ。日本人の国民性として外国人を家の中に受け入れるのは容易ではない。しかし、彼らは違う。日本人をその国民性、経済力、技術力、歴史と文化的な背景のためだけでなく、あるがままの人間として好んで家の中に受け入れてくれる。見返りを期待しない善意、ボランテア精神がある。さらに、オーストラリアという国家としての成立過程を見ると、遠い異国からの訪問者を手厚くもてなすのは一人一人の国民の身についた特質のようである。したがって、これまでの、派遣者数(190人)と受け入れ者数(81人)のアンバランスについてはあまり心配しなくても良いとの申し出を得ている。来年以降も継続して受け入れてくれるという確約をロススミス校のオブライエン校長先生から得た。それをサポートする教職員も非常に多いことは感謝に耐えない。
生徒のスピーチは現地到着後3,4日後に開かれる歓迎全校集会で代表が英語で言えればよい。教員のスピーチは引率者のうち一人が英語で言う準備をしておけばよい。引率者の歓迎のための夕食会が2度開かれた。一回目はパブ(費用は一人12,3ドルの食事、飲み物は各自負担だがオブライエン校長が払ってくれた)で、2回目は水上レストラン(会費25ドル、飲み物はオブライエン校長持ち、引率者の食事代はマリオン事務長が捻出する。)
食事会でのスピーチを用意していたのだが、実際は歓迎集会での公式スピーチが一回と第二回目は終盤の日本料理作成と振る舞いの夕べでのいわば纏めのスピーチがあっただけだ。最初は公式で、神栖高等学校長原キミ先生のメッセージ代読の形を取った。二回目は、ほぼ短期留学の最終段階なのでホストファミリーの方々へのお礼をかねたスピーチである。第二回目はスピーチの時期と内容が良く分かっていないので少し慌てた。
今年は4名の生徒、来年は20周年記念で12名の希望者がいる。オブライエン校長は歓迎集会のスピーチで言った。「神栖高校とロススミス中等学校の交換留学は南オーストラリアで最も歴史の古いものだ」と自信を込めて宣言した。この事実を将来も大切にして継続しようという決意の表明であると理解した。
今回お世話になったのは、ご主人がクロアチア系の方、ご夫人はイタリア系である。これまでお世話になったのはアングロサクソンばかりであり、付き合い方は若干距離を置いて付き合うタイプだ。今回イタリア系のご夫人の家で驚くほど暖かく家族の一員のようにもてなしを受けた。縁者親戚総出で入れ替わり立ち代り挨拶に来てくれて歓待を受けた。3週間家族の誰からも嫌な言葉もそぶりも見ることは無かった。驚くべきことだ。ご主人は1週間を500KMほど北のウラン鉱山で過ごし1週間の休暇を取るという生活パターンだ。直接話す機会は少なかったが、誠実で礼儀正しい人であった。お世話になった方が引率者として来れば御礼が出来るが、そのようなケースは少ない。
神栖高校からは江戸切子一個、和風飾りの置時計一個をオブライエン校長と学校へ持参した。個人的には、オブライエン校長へ信楽焼きの花瓶、お礼には書物1とヘーグのチョコを頂いた。日本語のアンフォーク先生には100円ショップで購入した1年〜6年の漢字練習帳と小学校漢字字典。さらには、招待を受けた際のため予備に用意した緑茶2、風呂敷き大小5、その他小物数個。多めに持っていったほうがよい。また、日本のチョコレートなども多めに持っていけばよかったと思う。
プログラムの最終段階で、神栖の生徒と教員による日本料理の作成と接待がある。以前は各ホストファミリーが一品持ち寄って体育館で行われていたが、今は半日がかりで調理をして職員室で食べている。これはホストファミリーにお礼を込めて料理をするという形だ。日本を出る前に十分準備をしていくことが望ましい。今回は木村先生が食材の購入、調理の手はず、実際の料理作成をすべて立案計画実行してくださった。好評は焼きそば、焼き飯、餃子、野菜炒め、てんぷら、ショウガ焼き、巻き寿司等でした。カレーライスなどもいいのではないか。そして何らかの段階でスピーチを求められる。その内容は、3週間受け入れてくれた学校とホストファミリーへのお礼の言葉なので、十分用意して行ったほうが良い。
毎度頭を悩ませるのは、空港でのチェックインである。成田では、20キロ制限をほぼ守れるのだがシドニーから帰国する際の出国手続きは毎年問題がある。3週間もいればみやげも増える。到底20キロ制限が守れない。シドニーで現地滞在員の日本人スタッフに聞いてみた。彼は「問題ない」の一言だった。生徒は23キロくらいの者もいた。私も約23キロでその上、ショルダーバックは15キロくらい、ハンドキャリーも約14,5キロだ。スーツケースは何とかまけてもらい、ハンドキャリーは機内に持ち込み棚の上のケースに入れようとした。すると、カンタスの職員がハンドキャリーの重量を測れと言う。15キロちかくある。それは機内に持ち込めないから預けろという。合わせて35キロくらいになる。いくらグループチェックインでもこれは多すぎる。だが、すんなり通った。後は、背中のバッグ約15キロだけだ。それでも一人で50キロくらいの荷物を機内に持ち込んだのだ。通常このようなことはファーストクラスでも起こりえない。ハンドキャリーは国際線で9キロ、国内線で7キロが定説だが、計量されたのは初めてだった。